瞑想と俯瞰

瞑想を理解しようと思う時、俯瞰という言葉の意味も同時に理解する必要があります
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俯瞰(ふかん)という言葉

普段、あまり使わない言葉ですが、瞑想との関わりが深い言葉ですので

この章(ページ)にて解説致します

辞書でこの言葉の意味を調べてみると

高いところから見下ろすこと


全体を上から見ること

とあります

一般的な解釈としては、物事を全体的に捉えるという意味での解釈が多い様です

ここでは、少し幼稚な例えになりますが

私なりの解釈をたとえ話風にお話したいと思います

三つの眼の例え話

人には三つの眼があります

それは

 その人の眼

 王様の眼

 神様の眼

の三つです

勿論、人の眼は左右に一つづつで、合計二つしかありません

ここでいう、三つの眼というのは、物事の捉え方というか

自分の周りで起きている出来事を、どんな視点で見ているのかという

視点、見ている人の立ち位置の話です

イソップ物語と日本昔話

赤ずきんちゃんという物語がありますが

赤ずきんちゃんのストーリーの語り口は、その始まりから終わりまで

一貫してその人の眼で進められていきます

むかしむかし、あるところに、とても可愛らしい女の子がいました。
ある時その女の子のおばあさんが赤いビロードの布で女の子のかぶるずきんを作ってくれました。
そのずきんが女の子にとても似合っていたのでみんなは女の子の事を、『赤ずきん』と呼ぶ様になりました。
ある日の事、お母さんは赤ずきんを呼んで言いました。
「赤ずきんや、おばあさんがご病気になってしまったのよ。おばあさんはお前をとっても可愛がってくださったのだから、お見舞いに行ってあげなさい。きっと、喜んでくださるから」
「はい、お母さん」
「それじゃあ、このケーキと、上等なブドウ酒を一本持ってお行き」
赤ずきんがおばあさんの所へ一人で行くのは始めての事だったので
お母さんは心配でたまりません。
でもお母さんには用事があって、一緒に行けないのです。
「いいですか、途中で道草をしてはいけませんよ。それから、オオカミに用心するのですよ。オオカミはどんな悪い事をするかわからないから、話しかけられても知らん顔しているのですよ」

この様な出だしではじまる物語は、始終赤ずきんちゃんの視点

物語が進行していきます

すなわち、物語の語り手がその人の眼の視点を持っています

かたや、日本昔話はその視点が神様の眼の立ち位置なのです

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。
おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと
大きな桃が流れてきました。
「おや、これは良いおみやげになるわ」
おばあさんは大きな桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。
そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと桃を切ってみると
なんと中から元気の良い男の赤ちゃんが飛び出してきました。
「これはきっと、神さまがくださったにちがいない」
子どものいなかったおじいさんとおばあさんは、大喜びです。
桃から生まれた男の子を、おじいさんとおばあさんは桃太郎と名付けました。
桃太郎はスクスク育って、やがて強い男の子になりました。

皆が知っている、桃太郎ですね

この二つの童話を比べてみるとわかる事なのですが

日本昔話は、その語り手が一部始終、どこか高い上の方から

物語全体を見て語っている様な構成になっている事に気づきます

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神様の眼=俯瞰

この視点・立ち位置が俯瞰という言葉の意味だと私は理解しています

こんな風に解釈すると、もともと日本人は、この神様の眼

先祖代々遺伝子レベルで引き継いできた民族の様な気がしてなりません

神様の眼=俯瞰できる立ち位置ですから、瞑想が海外発祥でも

日本人こそ、もともと瞑想の素質が備わっている民族といえるのではないでしょうか

ちなみに、王様の眼というのは、社長の眼とも言えます

普通の人の眼よりは、視界が広く、出来事を少し高い位置から見つめられます

王様は、自分の国の出来事を、自分の眼で見ながらも

自分の国がどうなっているのかを、王様の眼で見る必要があります

会社で例えると、王様の眼=社長の眼ですから

社長は、自分の会社の行く末を社長の眼で見ていかなくてはいけません

瞑想を続けていくと、自然と物事をとらえる視点が上に上がっていきます

自分の眼⇒王様の眼⇒神様の眼

そして、ぶれない自分が確立されていきます

あなたも、できるところから瞑想をはじめてみてください

少しずつですが、自分の周りを見る眼に変化が出てくるのを

感じる事と思います

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